諷詠四代

初代主宰 後藤夜半

初代主宰 後藤夜半

夜半は明治28年、大阪市北区曽根崎に誕生。本名潤。大正12年から高浜虚子に
師事し「ホトトギス」に投句。山口誓子、阿波野青畝、日野草城らとの親交を
深めました。昭和4年「瀧の上に水現れて落ちにけり」で虚子に客観に徹した
写生句と賞されました。

「謙虚な写生」を作句信条とし、昭和23年「花鳥会」を発足、主宰誌「花鳥集」を創刊しました。これは昭和28年61号より「諷詠」と改題しました。句集に『翠黛』『青き獅子』『彩色』『破れ傘』『底紅』があります。
昭和51年8月29日没81歳。

二代目主宰 後藤比奈夫

二代目主宰 後藤比奈夫

比奈夫は大正6年、大阪府に夜半の長男として誕生。本名日奈夫。
一高から大阪帝国大学理学部物理学科卒業。昭和27年35歳で「花鳥会」入会、
父夜半に学ぶ一方「ホトトギス」や「玉藻」に投句。

昭和51年8月夜半の逝去により「諷詠」主宰、平成24年より名誉主宰。「俳句は
心で作って心を消す」を信条とし、令和2年6月103歳で逝去する間際まで現役を
通しました。生涯16句集を上梓。平成18年『めんない千鳥』で蛇笏賞、平成29年
『白寿』で詩歌文学館賞を受賞。解説書を合せると60版を編纂。
代表句に、「東山回して鉾を回しけり」など。

三代目主宰 後藤立夫

三代目主宰 後藤立夫

立夫は昭和18年、日奈夫の長男として父の勤務先の、東京国立市にて誕生。
灘校から東大工学部建築学科に進学。平成8年東京大学博士号取得。昭和50年3月、
初めて「諷詠」写生会に参加、祖父夜半が主宰する「諷詠」に投句を始めました。
昭和51年より、「ホトトギス」にも投句を始めました。

平成12年「ホトトギス」同人。平成24年「諷詠」主宰に就任。比奈夫は名誉主宰に就任。作句の信条は「季語の喜ぶ俳句作り」。
平成28年6月26日、73歳にて逝去。句集に『見えない風』『祭の色』『祇園囃子』
代表句に、「陽炎を抜け出して来る馬が勝つ」など。

四代目主宰 和田華凜

四代目主宰 和田華凜

和田華凜は昭和43年、父後藤立夫の長女とし東京都三鷹市で誕生。本名美加。
平成3年関西学院大学法学部卒業。脳外科医と結婚、一女をもうけました。
子育てを終えると共に本格的に俳句の道に入る事を決意。

平成18年「諷詠」に入会。平成26年、句集『初日記』を上梓。北溟社与謝蕪村
奨励賞を受賞。平成28年6月、父立夫の急逝により「諷詠」第4代主宰を継承し、
新たな諷詠の作句信条として「深観新詠」を提唱しています。
令和4年3月第2句集『月華』を上梓。第11回星野立子賞を受賞しました。
令和6年7月随筆集『月華抄』にて日本詩歌句随筆評論大賞「大賞」を受賞。
代表句に、「能面の月華を宿す白さかな」など。

諷詠四代の一句

松手入して松風も村雨も

夜半  『底紅』昭和三十九年作

秋惜む時空足らざる思あり

比奈夫 『初東雲』平成十六年作

秋声は頭巾の像にだけ聞ゆ

立夫  『祭の色』平成十三年作

種採つて鶏頭の火の消えにけり

華凜   『月華』平成二十九年作


*諷詠四代の一句は、月替りで紹介しています。